翻訳と辞書
Words near each other
・ 王崎まりな
・ 王崗駅
・ 王嶋環
・ 王巡
・ 王己春
・ 王希天
・ 王師
・ 王師 (清朝)
・ 王師会
・ 王常
王常 (後漢)
・ 王平
・ 王平 (上将)
・ 王平 (曖昧さ回避)
・ 王広之
・ 王底テイ
・ 王底楨
・ 王府
・ 王府井
・ 王府井大街


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

王常 (後漢) : ミニ英和和英辞書
王常 (後漢)[おう じょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality
: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [かん]
 (suf) man (negative nuance)

王常 (後漢) : ウィキペディア日本語版
王常 (後漢)[おう じょう]

王 常(おう じょう、? - 36年)は、中国代から後漢時代初期の武将。後漢草創期の功臣の1人。顔卿豫州頴川郡武陽県の人。父は王博。子は王広。最初は緑林軍の部将、下江軍の頭領、更始帝(劉玄)配下の武将であった。光武帝の功臣団「雲台二十八将」と並び洛陽南宮の雲台で顕彰されたため、「雲台三十二将」のひとりと称されることもある。
== 事跡 ==

=== 緑林軍の挙兵 ===

王莽の統治の末期に、弟の仇を討ったために江夏郡へ逃亡した。その後、王匡王鳳を頭領とする緑林軍に加わり、偏将として活動する。
地皇3年(22年)、疫病により緑林軍を分散しなければならなくなると、成丹張卬〔張卬は、『後漢書』劉玄伝によると新市軍に、同王常伝によると下江軍に合流したとされているが、本記事では後者をとる。〕とともに藍口聚(南郡編県)へ向かう。そこで自軍を「下江軍」と号し、王常はこの軍の頭領とみなされた。まもなく新の納言将軍荘尤(厳尤)、秩宗将軍陳茂の攻撃を受けて下江軍は大敗する。しかし石龍山・三鍾山(南陽郡隨県等)付近で再び勢力を回復した。その後、王常らは上唐郷(南陽郡舂陵県)で荊州牧の軍を撃破し、宜秋聚(南陽郡平氏県)を拠点としている。
同年末、舂陵軍の劉縯劉秀の兄)が合流を求めて宜秋聚に交渉にやってきた。張卬と成丹は、劉縯の家柄を考えれば、その下風に立たざるを得ないと考え、合流に消極的であった。しかし合流を望む王常は、「南陽劉氏の者たちは皆深謀遠慮があり、必ずや成功する」と説得し、2人を始めとする他の下江軍部将にこれを承認させた。地皇4年(23年)1月、舂陵軍・下江軍の連合軍は、泚水で新の前隊大夫(新制の南陽太守甄阜、屬正(新制の都尉)梁丘賜を撃破し、討ち取っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「王常 (後漢)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.